名を語られぬ彼らが想い
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詰めた狡猾な男なのだから。
「全軍、突撃停止。距離を取って戦場を駆けつつ、騎射で数を減らすように指示を――――」
言い終わる前に、遠くで笛の音が鳴り響いた。大切な大切な笛の音が。
絶望の戦場で鳴ったのは竹の音。此処で鳴ったのは……聞き間違うはずも無い、“今はもう失われた黒麒麟の身体の嘶き”。
後に、聞いたことの無い音が鳴り、悲鳴が幾多も張り上がった。
――嗚呼……
一寸の思考の空白に、ゆらゆらと雛里の瞳が揺れ始める。
――彼の作った大切な音が。黒麒麟の上げるべき嘶きが。
彼らは鳴らして居ないのに、私は指示を出してすらいないのに……何故鳴った? 決まっている。敵が使った……彼と彼らの嘶きを敵が使った!
ドス黒い感情が雛里の心を染め上げた。黒く、黒く、真黒に染まる心。震える拳と震える身体。
カチリ、と頭の奥で音が鳴った気がした。脳髄に一筋の氷を通すような感覚を以って冷やして行き、彼女の瞳はより冷たく、より昏く濁った。
「このまま通常の戦の有様程度で帰れると思わないことです、袁家」
緩く息を吐き、振り向く。歯を噛みしめて怒りを抑えている黒麒麟の身体が其処に居た。
“あれは誰の音だ? 皆が知っている。想いを繋いで死んでいったバカ共の嘶きだ。許せるわけ、あるかよ”
同じ想い。同じ願い。同じ心。皆、彼と彼らとの思い出を穢されて怒りに燃えている。
ギシリ……と音が幾重も木霊する。彼らの拳が震えていた。
――まだ、待ってください。華琳様も桂花さんもあなた達を使うなと言いましたが……この澱みを抑える方が、毒になってしまいます……
目を細めた雛里は、後陣に伝令を走らせて報告を待つ。幾分、耳に入った情報は敵兵器の存在であった。
巨大な弩が列を為して騎馬隊を蹂躙している、と。
守りの兵は通常よりも長い長槍を持ち、馬対策の柵で囲られていて近付けず被害が大きい、と。
さらには……
「て、敵軍より……攻車出現っ! 数は十! 馬も車も鉄に覆われていて矢が効かず、為す術もありません!」
攻車とは、昔の戦車である。馬を並べて荷台を引かせ、質量の大きさで歩兵を薙ぎ払い、安定した足場で射撃を行える野戦兵器。
それを袁家は使ってきた。野戦となる事を想定して、烏丸から馬の扱いの卓越したモノを引き込んで……この時機を待っていたのだ。
――攻車と“ばりすた”……合わせて使うと相性は……確かにいい。選択としては、悪くない。
甚大な汗を流しながらの報告に焦りもせず、雛里は扇を口に当てて思考に潜る。
目まぐるしい速さで積み上げられる数多の対応策。この大陸で最高の軍師だと彼が言っていた。それを忘れる雛里では無い。
なら、この程度の不可測は乗り越えてしまえる
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