暁 〜小説投稿サイト〜
Magic flare(マジック・フレア)
第7話 壊レタル愛ノ夢(前編)
[4/11]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
決めた。彼女に何もしないと決めた。それは、何かをした内に入るのだろうか。
 何もしなかったことの何が正しかったのだろう。
 あさがおにも、まだやりたいことがあったんじゃないか。言いたいことがあったんじゃないか。その機会が失われていくのをみすみす見逃しただけじゃないのか。いいや。あれは廃電磁体であって、根津あさがおそのものではなかった。いいや。いいや。それは理屈だ。それでも廃電磁体は自分を根津あさがおとして生きていると思っていた。自分はそのあさがおの家族だった。それを消えゆくに任せると決めた。
 状況の判断は正しかった。けれど、人としての判断が正しかったと誰に言える?
 誰かが前に立った。
 クグチは顔を上げて、その人を、見た。
 痩せた小柄な男。中年で、頭はすっかり禿げ、眼鏡をかけている。にこにこと柔和な笑みを浮かべ、影をクグチのほうに伸ばしている。
 クグチは背を伸ばし、慌てて一礼した。伊藤ケイタは動画データの中の若かりし頃の面影を十分にとどめていた。
「歩こうか」
 そう一言だけ言うと、背を見せて人混みに歩き出す。クグチは自転車を押し、ついて行った。
 長く歩いた。
 後ろから誰かがついて来ていて、その気配が分かるかのように、それを振り切ろうとするように、伊藤ケイタは早く歩いた。道は混んでいた。ここでは平和だった頃の居住区のように、誰も行儀よく振る舞おうとしない。人並みに揉まれ、ぶつかられ、人の足を自転車で踏み、罵倒されながら、クグチは伊藤ケイタを見失わないことだけに集中した。
 ある角を、彼の背中が曲がった。
 生ゴミと雨の臭いが残る道に並ぶ、一つのドアを開ける。自転車を壁に寄せて止めている間、伊藤ケイタは、やはりにこにこしながら立って待っていた。
「いやあ、暑いね。あ、モーニング二つ」
 通されたのは奥まった席で、テーブルは黴臭く、店員と思しき中年女性は胡散臭そうにクグチを見ただけで返事もしない。伊藤ケイタは慣れているのか、くたびれたポロシャツの襟をつまみ、ぱたぱた扇いで服の中に空気を入れている。
 クグチは戸惑いながら、とりあえず挨拶した。
「初めまして。明日宮クグチです」
「うん。知ってる」 テーブルの向こうから手を伸ばし、「知ってると思うけど伊藤ケイタです。よろしく」
「よろしくお願いします」
 握手に応じると、コーヒーとパンを盆に載せて、さきほどの中年女性が来た。その店員は、やにがついた黄ばんだ目で無遠慮にクグチを見つめた後、
「ケイちゃん、この人……」
「ああ。明日宮君覚えてる? 昔よく一緒に来てた。彼、明日宮君の息子さん」
 すると店員のクグチを見る目から険も不信も消えて、ああ、と背をのけぞらせて叫び、笑いだした。
「そうだったの! まあ、ケイちゃんったら、先にそう言ってくれればよかったのに
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ