59章 音楽をする理由について、清原美樹は語る
[3/6]
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
でーす!」
会場の最前列にいる女子高生や男子高校生たちがそういう。
会場のみんなは声を出してわらう。
「みなさんは、夏目漱石は、『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』とかで、
よくご存じだと思います。でも、彼が、なぜ、ノイローゼといいますか、
神経衰弱になったのかは、ご存じないかと思います。
彼は、1893年、帝国大学を卒業して、高等師範学校の英語教師になるんですけど、
日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え始めるんです。
そんな漱石に、1900年5月、文部省から英語研究のためにと、英国留学を命じられるんです。
でも、これは、実は、正しくは英文学の研究ではないようなんです。
わたしも文学の研究とばかり、最近まで思ってましたけど・・・。
さて、漱石は、イギリス人が考えている文学というものと、
自分の頭で考えている文学というものとは、まったく別なものであることに気づくのです。
それである以上、自分は、もう、英文学研究に何の貢献できない、
そういう状態に追い込まれちゃうんですよね。漱石はその結果、ノイローゼになるんです。
いままでは国のために英文学を研究するという目標があったんですけどね。
その目標を見失うし、自分が何のために生きているのかもわからない状態になるんです。
そんなノイローゼ状態の中で。漱石が最も深刻に考えたことは何だと思います?」
最前列の女子高生に、笑顔で、そう尋ねる美樹。
「わかんなーいです。美樹先生!」
そういって女子高生たちは、明るい声でわらった。
「そんなノイローゼ、神経衰弱の時に、漱石が、最も痛切に感じたことは、
人間の自我といいますか、自己といいますか、つまり、意識や行為をつかさどる主体としての、
私の問題だと言われています。
こんな自我意識に悩む体験というものは、人間という存在の認識の問題でもあるわけです。
漱石という作家のすごいところは、そんな悩みや苦労を、まるでおいしいお酒やワインのように、
発酵させてしまうとでもいいますか、それを原動力にして、小説の創造に向けて、
前人未到の大文豪になってしまうという、特別な才能といいますか、
能力があったというとことなんだと、わたしは思っています。
といいましても、わたしって、学校の教科書で『坊ちゃん』を少し読んだくらいで、
本当は漱石の作品って、ほとんど、まったく、読んでいないんです!
好きな音楽ばかりやっている、ダメなわたしなんです!」
「美樹先生、ダメなんかじゃないよ。わたし尊敬してまーす!」
最前列の女子高生がそういうと、会場は拍手とわらい声に包まれた。
「自我意識を問題にした漱石が、いかにスゴイかということは、1901年から始まる、
20世紀になって
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]
しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2025 肥前のポチ