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夏の湖
第三章

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第三章

「それに私もあの時の私じゃないし」
「そうだな」
 これは夫もわかっていた。彼もまた。
「俺も御前も。歳を取った」
「髪も白くなって皺もできたわ」
「ああ」
「それでもね」
 だがそれでも彼女はここで言うのだった。
「私は私よ」
「そうなのか」
「ええ、そうよ」
 にこりと笑って夫に顔を向けての言葉である。
「あなたもあなたじゃない」
「俺もか」
「そは変わらないと思うけれど」
 夫に対して問う。
「それはどうかしら」
「ああ」
 夫は妻の言葉に頷くのだった。
「そうだな。その通りだ」
「素直になったわね」
「俺は何時でも素直だがな。御前が気付かないだけで」
「時々嘘をついても?」
「それとこれとは関係ない」
 強引に話を誤魔化すのだった。
「今だってそうじゃないか。違うか?」
「今はね」
 それは彼女も認めるところだった。
「それは認めてあげるわ」
「じゃあそれでいい」
 夫は妻の今の言葉で満足するのだった。
「俺は俺なんだからな」
「その二人でずっと一緒にいましょう」
「ここにも来てか」
「ええ。ずっとここに」
 また言う。
「一緒にね」
「わかった。ずっと一緒だ」
 夫としてではなく一人の人間として。頷くのであった。
「ここにもまた来よう」
「ええ。それにしてもここは」
 湖を見る目がさらに優しくなる。その言葉も。
「あの頃のままね」
「俺達と同じだな」
 夫はその変わらない湖を自分達に例えるのであった。
「俺達の仲と」
「またそんなこと言って」
 お世辞なのはわかっているが。それでもよかった。彼女は。
「何も出ないのに」
「それでいい。期待もしていないからな」
「そうなの」
 その言葉でまた夫を見る。
「じゃあ何が欲しいの?期待していないのなら」
「御前と一緒にいられればいい」
 またキザな言葉を出した。口元が微かに笑っている。
「そうしてここを毎年一緒に見たい。それでいいか」
「いいわ」
 妻は笑顔で夫の言葉に応えた。それでもう決まりであった。
「ずっとね。二人で」
「ああ」
 二人はようやく互いの顔を見合って笑った。その時二人のところに。水芭蕉の香りが風に誘われて舞い込み彼等を包んだのであった。そうしてこの時もまた美しい想い出にしたのであった。

夏の湖   完


                 2007・10・22

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