覇王居らずとも捧ぐは変わらず
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「今の俺に出来る事を、全部やらせてくれな」
されども耳を吹き抜けた乾きを含む渇望の声が、四人の心に不安の陰を広げていた。
†
払暁の日輪が合図であった。
官渡までの道程はそれほど長くは無い。
今か今かとこの時を待ち焦がれていたのは誰であったか。否、曹操軍の誰しもが、主の進む道に立ちはだかる強大な壁を打ち倒す時を待っていたのだ。
歩みを進める兵達の表情は引き締まり、されども緊張し過ぎてはいない。血と汗を滲ませた練兵の数々は自信となって、己が心を高めさせている為に。自分達が信頼を置く将達の背中を見ている事も理由の一つかもしれない。
ただ、醸し出される不安の翳りは拭い去れていなかった。
いつも行軍の先頭にあるはずの、黒馬に跨り揺らめく、黄金に輝く二房の螺旋が無い。
軍を進める前に上がるはずの勇気を齎す口上も、覇気溢るる凛とした声音も、奮い立たせてくれる不敵な笑みも……全てが無い。
二人の軍師、そして将達は、前の戦までとは全く違う空気をまざまざと体感していた。
「風、これは……まずいですよ」
「……」
道中で幾刻、はらりと嫌な汗を一筋だけ流した稟の問いかけに返答は無かった。隣を見やると、
「……ぐぅ」
風は寝ていた。いつも通りに、安心しきった表情で、馬に牽かれる車の上でゆらゆらと揺られながら。
「寝るなっ!」
「おおっ」
怒声と共に頭を叩かれ一寸跳ねた風。ぼんやりと宙を眺めた後、のんびりと稟に顔を向ける。
「馬車の揺れって眠くなるよねー」
気が抜ける。今から戦に向かうとは思えない程に緩い。
にへら、と眠たげな目をさらに細めて紡がれた一言は、稟のこめかみに血管を浮き上がらせるには十分であった。
しかし、こういった軍事を話す時は敬語であるのがほとんどの風が、平穏な日常時に於いて零す砕けた口調で語りかけた……その行いは日向の草原に吹き抜ける一陣の柔風のように、稟に思考を回す為の隙間を作った。
「風は気にしていないのですか?」
――華琳様の不在を。
誰でも軽く読み取れるのだからそう続けるまでも無く。稟は返答を求めずに、朝の冷たい空気を大きく吸い込んだ。ゆっくりと吐き出して肩の力を抜く。身体の脇に置いてあった木箱の中からお茶セットを取り出した。
キュキュっと魔法瓶の蓋が仕事だとばかりに声を上げた。コポコポと薄い緑が湯気を立てて湯飲みを満たすと、二つに注ぎ、すっと風に一つを差し出した。
「ふふっ、ありがとー」
微笑んで礼を一つ返された。空を見上げながら二人は湯飲みを傾ける。ある程度舗装されている道では、石ころにでも乗り上げない限り零す事は無い。
淹れたてを持ってきたのでまだ熱く、ずずっと音を
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