『我が剣は愛する者の為に』への感想
投稿者:所長
[2012年 11月 18日 16時 50分]
▼一言
感想欄に書かれてたことに若干の補足をさせてください。
漢には朝廷の下に州(県みたいなもの)、州の下に郡(市みたいなもの)、郡の下に県(町みたいなもの)があり、それぞれに長がいます。権限の及ぶ範囲が異なり、一番権限が強いのは基本的に郡の長だったりします。
州の長には軍事権のある「牧」か、軍事権を持たない「刺史」が任命されます。黄巾騒動の前までは郡を超えて大規模に荒れることなどほとんどなく、大半が刺史でした。
郡の長は太守と呼ばれ、「王」とは、郡の長のうち皇族や親族に与えられるもの(皇帝から8親等くらいまでだったと思います)で、「王」が治める郡を「王国」と言いました。実際の政治を行うのは「王国相」で、これは劉備などがこの地位に就いたことがあります。王は国相に政治を任せて首都洛陽に残ることが多いので、代官を置かない場合には実際に地方に赴くのは国相以下となります。
郡は大きいもので240万人以上(南陽郡)が住み、小さいものでは1万人程度(北地郡)しか人がいませんでした。そこで、皇帝の親族が治めることになる郡のうち、大きなものや重要な土地には「王国」、小さなものやさして重要ではない土地には「公国」が置かれました。
同じく県も重要なものを治めるのは「県令」、そうでない場合には「県長」、皇帝の親族は「侯国王」でした。
冀州渤海郡は、王が治めている期間のみ「渤海国」と呼ばれており、それを治めるのは渤海王でした。
夫婦別姓については微妙な時期でして、同姓の結婚を奨励する風習から同姓の結婚を禁ずる風習への移行期にありました。趙雲は同姓での結婚が出来ないことを理由に縁談を断っていますが、各地方では同姓が極端に密集して存在しており、大半の民は生まれた土地から出ることもなかったそうです。そのため、民間では結婚相手のほとんどが同姓ではなかったかと思われます。
長々と書きましたが、拙作『資料 恋姫時代の後漢』を暁さんにもアップしておきます。ここには書きませんでした命名のルールなども書いておりますので、参考になる部分もあるのではないかと思われます。お時間が許しましたらご覧いただければ補足の代わりにしていただけるかと思います。
更新を楽しみにしております。
投稿者:
wawa
[2012年 11月 29日 (日) 00時 32分 29秒]
長文でご説明していただいてありがとうございます。
資料の方も読ませていただきます。
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