「木の葉芽吹きて大樹為す」の感想

ルアベ
ルアベ
 
コメント
更新お疲れ様です。

双葉時代・発足編<おまけ>の話において、九尾の名前が出ましたが、「九喇嘛」が何というのか読めないです。できればフリガナがほしいです。また、最初は名前だということがよくわからず、誤字かと思ってしました。読み進めることでようやく名前だとわかりました。

九尾にとって名前を呼ぶ事を許すことが重大なことだということがわかりましたが、それだけに分身で会うだけで、本体で会っていない主人公に本当に心を許す理由がわかりません。

九尾は気に入った理由を『諦めろ。この馬鹿者は昔とちっとも変わっとらん、ワシに対しても同じ様な事を言ってのけた大戯けだ』とのように尾獣に対しても恐れずに言ってのけることを気に入っているかのように話していますが、普通なら命の危険がない分身だからああいうことが言えるのであって本体ならどうなのかと疑うはずですよね。

なにしろ九尾は、『我々の中でも群を抜いて人嫌いな九尾が』と五尾に言われるほどの人間ぎらいだそうですから。

本体で合えない理由は「単純に忙しくて本体が会いに行くだけの時間がないからです。また、どこにいるのか分からない九尾に見つけ出すにはやはり時間がかかります。なので、忙しい日常の合間をぬって分身を会いにいかせるだけしか出来ないのです。」とのことでしたが、そめてその理由だけでも九尾に言っておくべきですよね。

そうすれば九尾も普段はどこにいるか教えてくれるかもしれないですし、または待ち合わせするとかできるかもしれないですよね。

一回でも本体で出会っていれば、九尾が名前を呼ぶ事を許すのも納得できるのですが。

ぜひとも改稿版ではここのところを参考にしてほしいです。

マダラとの因縁も極まってしまった印象ですが、これで無事同盟を結ぶことができるのか。そして、うちは一族との怨恨はどう解消するのか。

安易な手段なら、主人公とマダラとの間に子供を作るとか考えられますが、まあこれは問題が多すぎますね。はたしてどうなることか。

次回の更新をお待ちしています。 
作者からの返信
作者からの返信
 
九尾の名前はクラマと読みます。単行本の六十巻にて判明しました。
で、作中ではさらっと流してしまいましたが、九尾と主人公は結構付き合い長いです。少なくとも五年以上はあのような関係を続けています。そうして数年かけて付き合いを深めて、ようやく一年前に名前を教えてもらいました。で、九尾が主人公を気に入っているのは、彼女が九尾の事を一個の確立した自我をもつ一個の存在として認めており、尾獣達のことを単なる力(または道具)として捉えていないからです。とまあこんな具合ですが、これでは名前を教えてもらうまで信頼される理由には弱いですかね。

改稿版の方ではもう少し九尾との絡みも増やしたいと思っています。